働きたいけど働きたくない

ニート気質なフリーター女の戯れ言

そもそも"就職"とは何なのか?

どうも、小遣い稼ぎフリーターとしてぬくぬく正月休みを満喫しているふにこです。

ダラダラ正月休みを過ごしているうち、私はふと疑問に思った。

そもそも"就職"とは何なのか?と。

生きていくために特別好きでもなく、やりたいことでもないことをやるなんて狂っているのではないか。

やりたいことがなくて何もやらないのは分かる。
やりたいことがあって頑張るのも分かる。
しかし、やりたくないのにやらざるを得ないからやる、とは何事か。

「自分に向いた仕事とは何か」と思い悩んでいる人が一定数常にいるとか「やりたくない仕事をやらなければ生きていけない」とか、おかしくないか?と。

人間は、そんなことのために生かされているのか?
仲間と心を通わせ、愛する人と子を作り、温かい家庭を作ることが人間としての使命なのではないか?
オフィスビルに閉じこもってパソコンに向かうのではなく、海や山に行き、自然と向き合うのが人間の本来の姿なのではないか?

私はこんなところで何をしているのだろう。
私はどこで何をすることが出来るのだろう。
私は何が出来て、何に満たされ、それを生活の糧にすることが出来るのだろう。

考えれば考えるほど気が狂いそうになってきた。

私は今まで何も積み上げてこなかったからだ。
何も持っていないのだから何も生み出せない。
だからといってこれから何かに取り組むような熱意もない。

人々は今日も「働いて」いる。

私は少しのアルバイトでしか働いていない。
自分で食っていくことも出来ないほどしか稼げない。
私は何をやっているんだろう。

正社員になるとか、無理な気がしてきえいる。
私はそんなに真面目に働けないしやる気もない。
変なプライドや仲間意識で頑張る正社員についていけない。
そもそも、社会人として社会に馴染めない。

私はいつまでもどこかズレていて、ダサくて幼くてぎこちなくて、トロくて情けない人間のままなのだ。
そうやって「ちゃんと」出来ないままズルズルと生きていくのだ。悲しいことだけれど。

でも、それが私なのだ。悲しいことだけれど。
悲しいことだけれど、それが私の「生きる」ということなのだ。

「普通」という幸せを持たない私には、ただ残りの寿命が手元に残るだけ。
これを持て余して、さらに不幸に陥る私。
上手く活用できる人がいれば渡したいものだが、こればかりはそうもいくまい。

だから私は今日もこうして"就職"という、常に隣り合わせながら交わることの出来ない言葉に苛まれ続けるのであった。

私にとって"就職"は手に届かないものなのである。
私が私である限り"就職"なんて出来ないのである。
社会人として働く能力があるような私ではない。

私は「普通」になれないのだ。
分かっていたけれど、やはりそうなのだ。
だから、「普通」の「就職」も無理なのだ。

もうこれは、落ち込んでいる場合ではないのである。
ただ、受け入れて早急に人生設計を考え直さなければならないのである。
「普通」なら、婚活に行くだろうが私は醜いのでそれも出来ない。

だから、今日も私は静かに今日を生きることに集中するのである。
運に任せるしかないのである。

就活は続けるつもりだが私が「普通」になるのは難しいだろう。
それでも私は「普通」になるための生活を続ける。
「普通」になれば、私が私でなくなる。私はそれを望む。

つらいけど、悲しいことだけれど、私が私であることは私のためにも家族のためにもならないのだ。
一日でも早く「ありのままの私」を卒業しなければ。

「普通の人間」にならなければ。
私であることをやめなければならない。
それは悲しいことだけれど。