働きたいけど働きたくない

ニート気質なフリーター女の戯れ言

ダークサイドに堕ちたい話

なんだかんだ、正義感を持って強がってきた。

だが、もうそろそろ限界である。もう、疲れた。
人としてどうあるべきかとか、道徳とか倫理とか私には全く分からなくなってきた。
理想としてのある形と現実として存在できる形が違いすぎる。

私は理想を追い求めすぎたのかもしれない。

私は、ただ「普通」になりたかっただけなのだ。

でもその「普通」は私にとっては高すぎる目標だったのだ。
今になって、やっとそのことに気づいたのだ。
周りの身近な友達やくだらないクラスメイトだって、軽々とやってのける「普通」が私には出来ない。

「私だって本気出せば…」とずっとそう思っていた。
しかし、本気を出すときはついに来なかった。
いや、薄々分かってきていた。私の「本気」なんか無いのだと。

もし仮に「本気」なんて出してしまったら、「普通」になれないことが確定してしまう。
それを何とか避けたくてなあなあにして生きてきた結果がこれである。

何とかかんとか理屈をこねて、やれ「世の中は狂ってる」だの「毒親」だの言っている7が、本当は分かっている。

「私が悪い」のだ。

「すべて自分のせい」なのだ。

「甘え」てきた「結果」なのだ。

現実逃避ほど現実を突きつけられることもないだろう。
現実逃避そのものが現実を受け止めている証拠なのだ。
「自分にはどうしようもない現実がある」ことを受け止めている。

なんだかんだ言って、私の人生はもう終わりつつある。
皆の人生はまだ始まったばかりかもしれないが、私の人生は最初からここまでであったのだろう。

どう生きればこうならずに済んだのか、考えてみたが答えは出なかった。

「どう転んだところで私という人間はこうなる運命だった」と考えるよりないのである。
私はあらかじめこうなるために人生を歩んできたということになるのである。

何を頑張るわけでもなく、愛を知るわけでもなく、楽しみを知るわけでもなく、ただダラダラと不満のなかで生きてきた。
他の人が若い時代を存分に楽しんでいても、私にはそんな時間は無かった。

私が私である限り、そういうことは出来ないのだ。
魚が陸に上がって大地を駆け回ることは出来ないのだ。

だがしかしこれは、今まで通り正義に従って生きようとしたら、の話である。

もう、これからはいろいろ良い人ぶって考えるのは止めようと思う。
どうせ、私の善意なんか、他人にとってはオカシナコダワリでしかないのである。
「あいつは何故あんなことにこだわっているのだ」とバカにされるのは飽きた。

もう、私は正義感なんか持たないし、恩も感謝も何も感じずに生きようと思う。
犯罪さえやらなければ、それでいいのではないか。
どんなに他人を傷つけてもいいのではないか。

そう思う。

他人を傷つけてもいいのではないかと思う反面、それで自分が傷ついたら意味がないとも思う。
だからきっと、私は今まで通りの生き方で苦しみ続けるのだろう。
ダークサイドに堕ちるのだって大変なのだ。

私は正義を貫くことも、悪者になりきることも出来ず、また明日も生きるのだろう。
大袈裟なことを語っているようだが、同じような悩みを抱えている人は多いのではないかと思う。

正義は理解されなければただの「ワガママ」である。
そうやって、人々の気持ちは潰されてゆく。
悲しいことだけれど、それが「生きる」ということなのだろう。

私にはあまりにも難しすぎる。