働きたいけど働きたくない

ニート気質なフリーター女の戯れ言

元気かどうかは見た目じゃ分からないという話

「鬱なのに元気そう」とか「まさかあの人がそこまで追い詰められてたなんて」とか言う人がよくいるけど、本当にいい加減だなあと思う。

例えば、私は突発的な痛みには弱くて失神してしまう。

採血の注射がちょっと痛いだけで意識が遠退いたり、階段でコケて膝をぶつけただけで意識が飛んだりしたことがある。

だが、どういう訳だかじわじわくる痛みには結構強い。

中学生の頃、どうしようもなく歯が痛くて歯医者に行ったときも医者に「あれ?なんか痛くなさそうだね?」と言われた。
しかし、診てもらうと神経まで蝕まれていてその歯はすぐに抜歯だった。
たぶん、普通の人なら痛みでもっと騒ぐものなのだろうけど、私の場合、痛すぎて何のリアクションも取れなかったのだ。
しかし、そういうところは伝わらないらしい。

長引く腹痛で近くのクリニックに普通に歩いて行ったときは採血の結果を見た先生に「え!今すぐ大きい病院で検査してきて!」
と言われ、大きい病院に行ったらその日の内に入院になった。
腸が炎症を起こしていて結構なことになっていたらしい。

他のときは、どうも便秘で腹痛が酷いなと思って唸りながらタクシーで病院に行って検査を受けたらそのまま緊急手術になったこともある。

両方の腹痛とも私は最初「大したことない」と思っていたし、病院の先生もそう思っていた。
が、いざ検査結果が出るとどちらも世間的にはそこそこ痛いと言われている病気だった。

で、それを聞いたら私はなんだかすごく痛い気がしてきてオーバーリアクションになったし、
先生は「逆に今までなんでリアクション薄かったの?」みたいな感じで話しかけてきた。

後で思うと医者が診断する基準として「患者がどれくらい痛がってるのか」というのがあるようである。

でもそれだと、私の痛がり方は基準から外れていたようなのである。

<書きかけで公開してしまったので追記>

だから、「大丈夫そうかどうか」は見た目で決めてはいけないのである。

ものすごく辛そうに見えても案外本人は何とも思ってないパターンもあれば、元気で楽しそうでも苦しんでいるパターンもある。

本人は大丈夫だと思っていても実は重大なダメージを受けていることもあれば、本人は大ショックを受けて落ち込んでいても大したことがない場合もある。

生理は泣くほど痛い重さの人もいれば生理になったことを気づかないほど軽い人もいる。
両者は本当の意味では絶対に分かり合うことは出来ないがお互いの様子を目の当たりしたら「こういう人もいるんだな」とは思える。

よく「"生理痛は甘え"は男の意見」と言う人がいるがそんなことはないと思う。想像力の問題である。
生理の軽い無神経なおばさんには絶対に分からないだろうし
胃腸が弱くてすぐ痛くなってしまうことに悩んでる男性なんかは共感できるのではないかと思う。

またメンタル面で言えば、本人はケロリとしていても軽い自傷癖等で深層心理的にはボロボロな場合もあれば
本人が「もうダメだぁあ」とめちゃくちゃ騒いでいても、案外何ともなかったりすることもある。

そんなの人それぞれだし、同じ人でもショックのタイプによって、受けるダメージや表れる症状は変わってくるのである。

失恋に弱い人もいれば、仕事のミスに弱い人もいる。
延々と引き摺って引きこもる人がいるかと思えば、酒を飲んで一晩で忘れられる人もいる。
同じ出来事でもその人の性格や考え方によって、どんなダメージになるかは全く違う。

そういうところが分からない人が多いからコミュニケーションに齟齬が生じるのだと思うのだが、どうも"自称・コミュニケーション能力がある"人にはそれを察する能力が欠けているような気がする。

ある程度同じ価値観の人間としか関わっていない人たちはそうやってどんどん"馴れ合い能力"を高めていって、仲間内で力を強めていく。

私はこんな偉そうにブログで言いたい放題で割と元気で平気そうに見えるかもしれないが、今までの人生、ロクな目に遭ってないし、人間不信で毎日人と会話するだけで考えすぎて苦痛である。

それでも「普通」に見えるように笑顔で明るい人に見えるように一応「努力」しているのである。

「そんなの当たり前だろう」と人々は言うだろう。

しかし、毒親育ちでコミュ障で人間不信なデブスが抱える日々のネガティブ要素は想像以上に多い。
触れるもの全てがネガティブの要因になるわけだから、そこにいるだけで落ち込む訳である。

「普通」の人ならとっくに鬱か引きこもりなんかになっているか、自○していると思う。
でも、慣れっこになっている私はまだどうにか耐えて生きている。

それなのに「普通」の人々は「努力」を強いて、「甘え」だと罵倒する。

他人の苦しみも努力も見えないし、自分と違うということも分からない人たちがそんなことを言う。
そういう人たちが世間では「コミュニケーション能力がある」人たちなのである。

そろそろ"コミュニケーション能力"は"馴れ合い能力"に言い換えた方が良いのではないだろうか?

同じ境遇と価値観の人間としか意志疎通が出来ない人たちを持ち上げるから世の中はどんどん生きづらくなっていく。

「世の中のせいにするな」は「私のせいにするな」である。
責められていると思うからこそ腹が立つわけである。
皆でもっと生きやすい世の中を作る工夫をしても良いのではないかと思う。